長い引っ越しと短い引っ越し
投稿日時:
2025/03/10
著者:
もののけ姫
この度、長い引っ越しを経験した。いや、距離的には元居た場所から歩いて15分ほどの移動なので、短い引っ越しというべきかもしれない。
ではなぜ、長い引っ越しなのか。まずはそれについての説明からはじめよう。実は今回の引っ越しは自発的な引っ越しではなく、自治体の土地区画整理にともなう集団移転の一環である。基幹道路の拡張、延伸のためにいずれは道路を広げる必要があり、区画整理をしなければいけない、という話は、実はすでに昭和40年代頃からあったそうで、それがいつの間にか立ち消えになってしまっていたらしい。ところがここに来て急にその話が再燃し、コロナ禍を挟んだものの着々と進んで、ついに我が家もその渦中に巻き込まれることになったのである。地区全体の集団移転であるので、一定のまとまりごとに土地を空けてそこを一斉に整備したのち、建物を再築するというのが一般的手順である。予定では、2019年度から始まり2028年度に完成することになっている。すでに整地を終え、新たな家が建ち、人が再び住み始めているところがある一方で、わが家のように今まさに家の解体が始まり、ラッシュで整地を行っているブロックもある。見慣れた風景はこれまでと一変し、大型クレーンなどの重機が所狭しとあちらこちらで動き回っている。年度末を控え、自治体の決算にもかかわってくるので、いつもこの時期は工事が多いと感じていたが、他人ごとでない。
もともとわが家のあった辺りは、戦前からの古い家などもある自治体の旧市街の中心部にあたる。それもあってか、地権者の中にはこの区画整理事業に難色を示す方もいて、それで着工にいたるまでの道のりが長かったとも聞く。つまり一度は消えかけていた長い引っ越しが復活したのである。中心部は高齢化が進み、わが町内も家の件数は三十年前の半分以下に減ってしまっている。年を重ねてからの引っ越しは、いくら近場への短い引っ越し=一時的移転とはいえ容易ではない。長年住み慣れた家を一旦はすべて潰さなければいけない。断腸の思いである。すべてのものを取って残しておくことは無理であるとしても、わが家は先祖が商売をやっていたこともあり、屋号の入った看板や徳利など古い珍しいものが出てきて、いくつかは残しておこうと家族で決めた。今の時代、もはや100年前のものは骨董品ではないそうで、日用品の部類に入るそうだ。確かに人生100年時代の今、「物」の価値は以前とはまったく違ったものになってしまったに違いない。
そう思うと今回の引っ越しは、将来的に見れば今から100年後を見据えて、高齢化社会にふさわしい街づくりの一環と考えれば、少しは溜飲が下がる思いである。空襲で焼け残った旧市街の一部は、確かにゴミゴミとして細い道路も多い。道路を広げ利便性を高めることは、郊外への発展を重視するのではなく中心部の活性化にもつながるだろう。
このようなことを考えて思い浮かべるのは、19世紀半ばのフランス、パリの街の大改造である。現在のパリの街並みが、ナポレオン三世の時代、セーヌ県の知事であったオスマン男爵の手腕の下で再建されたことはよく知られている。革命や犯罪、疫病の温床となった古いパリの街は、凱旋門を中心に放射線状に並ぶ大通りが完備され、新しい光の都へと生まれ変わった。今や新一万円札の顔となった渋沢栄一も、幕末に政府の随行団の一員として訪仏した際に見た新しいパリの姿である。でも一方で、当時そこに住んでいた人々にとっては、引っ越しを強要されるなど大変なことだったのではないかと、今の自分の立場に置き換えても切実な問題に映る。
このようにさまざまに思いをめぐらすと、もはや自分には見ることのない世界であるが、今自分の住む街が、今後100年をかけてどのように変わっていくのか、その責任を負うのはわれわれであるということを肝に銘じておかねばならない。つまり、今回の引っ越しは新たな長い引っ越しのはじまりでもあるのだ。今はやりのSDGsではないが、自治体の施策に一喜一憂するのではなく、今こそ長期的な展望をもって、都市計画事業も含めた今後の進展を厳しく見つめていく時がきたのではないかと思う。