詩人の承認欲求―誰かに感じてほしい―

投稿日時:
2024/08/10
著者:
ディメンシア

 詩人は誰でも、美しくも厳しい自然や矛盾に満ちた社会の中で生きていくとき、自らの感情(情念あるいは心情)を訴えたくなる。その心に宿った内なる感情を外なる世界に絞り出すときの喜びと苦しみを味わうだけでなく、誰かに共鳴してほしいと願って言葉を紡ぐのである。文学的名声を得たいと望む世俗性が少しはあるとしても、「誰かに感じてほしい」という純粋な承認欲求のほうが強いのではなかろうか。

 それ故、詩人は自らの詩をどのように伝えるかに工夫を凝らす。カフェや小ホールで朗読したり、曲をつけて歌ったりすることもある。最近では、SNS上の詩の投稿サイトにアップしたり、ブログで自作の詩を発表している詩人も多数いる。自らの感情を、自由に、直接表現できるこのような新しい電子媒体の利用はコストがかからず、若い詩人には有用かもしれない。「いいね」がつけば励みにもなる。

 しかし、活字文化に馴染んできた詩人たちにとっては、詩集の出版は依然として最終目標であろう。いつの時代でも、詩人たちは自分の詩集を出版することに心血を注いできた。詩集を公刊すれば、それはひとつの記号文化となり、後世に残って人々の目に留まり、共鳴してもらえる可能性が無限に広がることになる。

 もちろん、良い詩を書いていれば自動的に出版できるわけではない。同人詩誌に身を置いて厳しい相互批評の洗礼を受け、商業詩誌に積極的に投稿して自らの実力をアッピールする努力は不可欠だろう。そのうえで、幸運の女神が舞い降りて、名のある出版社から声がかかりますように、と祈るしかない。そんな成功者はごく一握り、財政的に豊かであれば自費出版もできたであろうが、多くは無名のままで消えて行かざるを得なかったのである。

 ぼくの記憶に残る二人の詩人についてお話ししよう。

 星野マリ:1960年代の中頃、新宿西口の思い出横丁で飲んだ後、国鉄新宿駅に向かう道すがら、謄写版刷りの詩集を売るひとりの女性詩人と出会うことがあった。当時のぼくは大学院生になったばかり、専攻分野の研究に集中せざるを得ず、好きな詩を読むことさえ意識的に遠ざけていた。しかし、潤んだ蛍光灯に照らされながら毅然として立つ彼女の姿に胸打たれ、何度かその詩集を購入したことを思い出す。

 寺山修司『戦後詩―ユリシーズの不在』(紀伊国屋書店,1965年)は新宿の雑踏の中で黙して自作の詩集を売り続ける星野マリを「立ち売りスタンド」と揶揄し、むしろ「詩で話しかけろ」と挑発した。高度経済成長期の変貌する都会で暮らす人々の生き様を、傍観者としてではなく主体的に捉えて表現せよ、という激励でもあったように思う。だが、そう揶揄する真意を、当時もそして現在も、ぼくは必ずしも十分に理解できていない。

 星野マリは4年後に処女詩集『新宿地下道の詩』(彌生書房,1969年)を上梓した。「あとがき」で、両肺切除と出産というアクシデントの期間は除いて、長い年月駅頭に立つことができたのは、彼女の詩を求めてくれる人々が増えていったからであると述懐している。自らの詩を、そして自らの存在そのものを認めてほしいという彼女のささやかな承認欲求が満たされたのである。

 金子みすゞ:1950年代後半の高校生時代、大正デモクラシーの束の間の高揚時に盛り上がった童謡詩運動(明治期の国策的音楽教育の中核である唱歌に対して、本当の子供心を歌う童謡詩の必要性を強調した)を調べていた。雑誌『童話』などに載った金子みすゞのいくつかの詩は、平易な言葉で胸を打つ暖かい情景を描きながら、何か屈折した心の叫びを併せ持っているように思え、気になってしかたがなかったが、その後の消息は杳として分からなかった。

 児童文学者で詩人の矢崎節夫が金子みすゞの童謡詩の童謡らしからぬ強い思索性に魅入られ、みすゞが弟に託していた自筆の詩集原稿3冊を掘り起こし、自らの解説を付して『金子みすゞ全集』(JULA出版局)を刊行したのは1984年、みすゞ26歳の自死から54年経っていた。

 これをきっかけに金子みすゞの詩に対する世間の関心が高まる。1993年、矢崎節夫『童謡詩人金子みすゞの生涯』(JULA出版局)の出版。1995年、NHKスペシャル「こころの王国―童謡詩人金子みすゞの世界」の放映。さらに1996年には小学校の教科書にも採用されて脚光を浴びる。その後も、今野勉『金子みすゞ ふたたび』(小学館,2007年)、松本侑子『金子みすゞと詩の王国』(文芸春秋社,2023年)など、みすゞブームは今も続いている。生前に自らの詩集を手にすることはできなかったが、時を越えて彼女の詩人としての承認欲求が叶えられたといえようか。

 詩集が出版されると、詩は詩人の手を離れ、独り歩きしていく。詩の読み手がさまざまな受け取り方をするからである。詩の読み手からすれば、詩人との共鳴は個人的であり受動的である。読んで心に染み入れば、手元に置き、読み返す。読んで心に響かねば、放擲する。それだけである。理屈も何もない。評論家のように詩を論じ批評しようとすれば、言葉の中に閉じ込められた詩人の感情を解放するために、詩句の意味性を捏ね繰り回して解析しなければならないが、そうでなければ、ただ感じるだけでいい。

 ぼくの場合は、実際に駅頭に立つ星野マリを見ているので、一入の想い入れがある。金子みすゞの哀しい人生を知るにつけ、その夭折を惜しむ気持ちが一層強くなる。だから今でもしばしば彼女たちの詩集を紐解く。

 老人の郷愁と笑わないでくれ給え。若い詩人たちの詩もたくさん読んでいるよ。そして共感しているよ。