老樹閑話三題 その➁

投稿日時:
2024/11/10
著者:
おりん

第一話 ふんころがしの話

 ふんころがしという虫を、大概の人は知っていると思う。しかし、見たことのある人は殆どいないのではなかろうか。

 エジプトの首都カイロから、ナイル川を南におよそ六百七十キロメートル(因みに富山からだと鳥取松江迄)さかのぼった東岸のルクソールにカルナック神殿が、西岸には歴代の王が眠る王家の谷もある。このカルナック神殿の中にスカラベの像がある。スカラベとはふんころがしのことで、この像(高さニメートル程度)の周りを左回りに三回廻ると願い事が叶うと言い伝えられている。多くの欧米人が暑い中、汗を流しながらスカラベの周りを真剣に廻っている。

 エジプトの古代美術館には、スカラベを模した顔の王の像や、お守りが見られる。脇に掲げられている説明書には、糞玉を転がす姿を太陽の回転を司るケペラ神に重ね、スカラベは不死と復活の象徴とされたと記されている。

 私が初めてふんころがしを知ったのは、小学生の頃「ファーブルの昆虫記」を読んだ時だった。奇妙な虫がいるものだと、馬車や牛車が通ると、その後を追いかけたものだ。糞をすると長い間しゃがみ込み、ふんころがしが出てこないものかとジッと待っていた。しかし、ハエや他の虫を見たけれど、一度もふんころがしを見たことはなかった。

 余談になるが、馬の糞を裸足で踏むと速く走れるようになると言われていたので、何度も踏んだ記憶がある。

 その後、ふんころがしにエジプトの話が絡み込む。ラクダの糞を転がす写真も見た。そんなこんなで、ファーブルはエジプトを旅行した折に、ふんころがしを見つけ、観察した結果を昆虫記に発表したのだと思い込んでしまう。

 阼冬エジプトを訪れた際、スカラベを見てファーブルを思い出した。帰国後に孫から「ファーブルの昆虫記」を借り、読み返してみた。ふんころがしは最初に出てくる。参考文献等も併せて読むと、ファーブルはふんころがしを英国の研究室で観察し続け、本に著している。

 長年の思い込みは、笑い話にもならない。

 思い込みは、いつの間にかそっと入り込んでくる。そしていつの間にか確信に変わってしまう。可愛い思い込みは、罪がないけれど、周りに多大な迷惑をかける思い込みもある。気をつけて行かねば。

第二話 自然災害と地球

  わたしの会社の業務内容は、地質調査、災害地域の調査、解析、防災工事、水門調査等です。これらの業務に携わる人々は全て、それぞれの地域の過去(地盤の成り立ちから現在まで)を知る努力を惜しみません。過去を知って、現在に対処せねばならないからです。

 地球が誕生してから45億年、その間に地表の環境はさまざまにかわってきました。温暖な時期もあれば寒冷な時期もあり、山や平野の位置も大陸の分布も変化し続けてきました。そのときどきに、自然は激しく動き、大きな猛威をふるってきました。自然をよく知ることによって、猛威が大きな災害になってしまうのを防ぐことができるはずです。予めどのようなことが起きるのかが読めれば、何らかの対策が立てられるはずです。

 しかし実際に目の前でそのような想像外の天変地異を観察した記録はありません。数万年という時間に比べると、人間が記録を残すようになってからの時間はせいぜい1000年の桁ですから、10分のー、人の一生はさらにそのまた10分のーです。

 火山に比べると規模は小さくなりますが、1億立方メートルを越えるような大崩壊も、人間の経験できる時間の範囲をかなり越えています。立山火山の大鳶崩れ(富山県、ユ858年)は、地震が関与した崩壊で、火山の大噴火に比べると影響の及ぶ範囲はずっとローカルなものですから、ある一地域で考えたら、災害は何千年に一度、何万年に一度の出来事でしょう。

《過去を知るには地面を見る》

 こうした、めったにおこらない猛威を調べるには、人間の経験は役に立ちませんから、大地に残された爪痕を調べる必要があります。こんなタイプの猛威がおこれば、こういうことが地形や地層に残るだろうと予測して地面や地下を調べたり、あるいは、何かおかしなものを見つけて、その由来をさぐっていくと、どうやらとんでもない猛威があったらしいということになります。このようにして、過去の猛威のようすが次第に再現されていくのです。要するに、猛威の「化石」を見つけだして、その「化石」に記録されている情報を読み取るということです。

《自然に学ぶ》

 こういう過去の猛威を読む例はほかにもいろいろあり、地震断層を掘るとか、火山灰を調べるとかいう方法です。

 当時の海岸線の化石を読んで、現在の標高を測り、またその年代を測定することが、一つの有力な鍵となっています。海岸線は、当時の海食台である海岸段丘や汀線付近にのみ住む穿孔貝が岩にあけた孔などから読むことができます。また、地質年代は、火山灰(テフラ)の対比や貝殻・木片などに含まれている放射性炭素による年代測定などによります。

 海面の変化は気候の変化と関係していますから、寒冷な時期と温暖な時期とが繰り返す地球のリズムがわかります。野外の観察と試料の分析です。多くの事例を集めて、それから規則性を見出していくわけです。年代測定とか、コンピュータシミュレーションとかいろいろな新しい技術を使って、克服されつつあります。

 恐竜が、比較的短期間に絶滅したことは事実であり、また、古生代の終わりごろ(およそ2億5000万年前)にも、生物種の激変が知られており、生物の大絶滅をおこすような何らかのカタストロフィーがあったのではないかと考えられています。

 こんな目にあったら人類全体がお手上げで、あきらめなくてはいけないことになります。どうやら、自然の猛威というのは、人間が知らない、人間の時間感覚では考えられないようなものが、まだまだいくらでもあるのかもしれないということになりそうです。人は、自然の猛威の奥深さ、自然のエネルギーの大きさを知って、謙虚に自然とつきあわなければなりません。人が自然の流れを変えようとすると、自然もまた変貌し、新たな、思いもよらない自然災害をもたらすことも、よく知っておく必要があります。自然とのつきあいをおろそかにして防災の技術を過信すると、あきらめなくてはならない災害がふりかかってきます。

第三話 おもかげ

 浅田次郎の『地下鉄(メトロ)に乗って』に続いて、生という奇跡を描く『おもかげ』を読んだ。感情が揺すぶられ、胸を打たれた。

 孤独の中で育ち、温かな家庭を築き、定年の日の帰りに地下鉄で倒れた男。エリート会社員として定年まで勤め上げた竹脇は、送別会の帰り地下鉄で倒れ意識を失う。家族や友が次々に見舞いに訪れる中、竹脇の心は外へとさまよい出し、忘れていたさまざまな記憶が呼び起こされる。孤独な幼少期、幼くして亡くした息子、そして・・・。

 最終章で述べられる老後の時間ついて、「何をしてもよい」と考えれば豊饒な時間だが、「何もしなくてよい」と考えれば貧困な時間なのである、が深く心に刻み込まれた。老後の時間を、暇な時間、朝目覚めた時、休みの日に、と置き換えてもよいだろう。

 刻み込まれたこの一節に、心が大きく揺れ動き、強く胸を打たれる。

 情感が豊かになってきたのだろうかと思いつつ、意を強く持ちこれからを過ごさねばと覚悟を決めた。