ゼレンスキーによる歴史の歪曲
投稿日時:
2025/03/10
著者:
ベチャール
2月28日のトランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談は、両者の考え方を非常に明確に示していたと思う。とくにゼレンスキーは、その歴史的認識において、事実を非常に歪めていることが分かって、ちょっと驚いた。
かれは、プーチンを外交的交渉の相手とはできないとして、次のように述べた。会談での話の順番とは違うが、以下のように整理してみたい。
1)2014年
●ゼレンスキーの主張:「彼(プーチン)はウクライナの東部とクリミアという大きな部分を2014年に占領した。・・・ありがたいことにトランプ大統領が彼(プーチン)を止めてくれるだろう。しかし2014年に止める者はなかった。彼はただ占領してわがものとした。人々を殺した」。
●検証:2014年の事態はそう簡単ではない。2013年11月から14年2月にかけて、アメリカのクーデタとして起きた「マイダン革命」の結果、親露派のヤヌコーヴィッチ大統領が追放され、親欧米派の政権ができた。この政権は、2月に、ウクライナ語と並んでロシア語を公用語とする言語法(2012年制定)を廃止し、ウクライナ語のみを公用語とした。これに対して、ウクライナ東部のドンバス地方にいたロシア語話者の不満が爆発し、暴動が起きた。これをウクライナ政府は軍隊でもって鎮圧しようとして、軍事衝突が始まり、やがて4月にはロシア軍も介入したのであった。ここに事実上の「戦争」が始まっていた。
これを収めるために、諸外国の仲裁で休戦の試みがなされた。2014年9月、ベラルーシのミンスクにおいて、ウクライナとロシア側の間に合意がなされた。内容は、東部における即時停戦と重火器撤去、ウクライナ憲法を改正しドンバス地方に憲法上特別な地位を与えることであった(ミンスク合意Ⅰ)。これでも停戦は実現されなかった。ウクライナの憲法改正は容易ではなかったのである。
クリミアについては、やはり言語法の廃止への反発が強く、2015年3月に住民投票が行われたが、ロシアへの併合を望む声が圧倒的であった。これに基づいてロシアはクリミアを併合したのである。
したがって、ゼレンスキーが「彼(プーチン)はウクライナの東部とクリミアという大きな部分を2014年に占領した」というのは、間違いである。時期の問題は別として、合意による停戦ができなかったについては、ウクライナ側の問題を捨象している。
2)2019年以前
●ゼレンスキーの主張:「私が大統領になる前のウクライナで、プーチンは25回も停戦を破った。」「当時の大統領(バイデン)はわれわれ側と会談し、フランス、ドイツ、ウクライナ、そしてロシアの間で正式な会談をした。しかし彼はそれを25回破った。」
●検証:これは何のことを言っているのだろう。おそらくミンスク合意Ⅱの事であろう。
2015年2月には、独仏露ウクライナ間に停戦合意がなされた。内容は、ミンスク合意Ⅰを確認し、無条件の停戦、最前線からの重火器の撤退、捕虜の解放、ウクライナ東部に関するウクライナ憲法の改正であった(ミンスク合意Ⅱ)。これで再度折り合ったかに見えたが、ウクライナが東部をめぐる憲法改正に消極的で、加えて米国や独仏が積極的に関与しなかったので、和平は実現しなかった。ゼレンスキーが「2014年に止める者はなかった」というのは、当たっていなくもない。ミンスク合意Ⅱは米独仏のジェスチャーにすぎなかったからである。だが、一方的にプーチンが「破った」と言っては間違いないのである。まして25回停戦合意を破ったというのはまったく不明である。
3)2019年
●ゼレンスキーの主張:「新しい大統領として2019年に彼(プーチン)とマクロン氏(フランス大統領)、メルケル氏(ドイツ前首相)と停戦合意に署名した。しかしその後、彼は停戦を破り、ウクライナ国民を殺害し、捕虜交換に応じなかった。」
●検証:これは、ミンスク合意の延長の事であろう。
2019年5月に大統領に就任したゼレンスキーは、対ロ和平を掲げて圧勝した。かれは、ロシアとの協調路線を採り、プーチンとも連絡を取って、東部での停戦を模索した。12月には両者は独仏首脳を交えて直接対面で協議もした。さらに2020年7月には、ウクライナ、ロシア、OSCE(欧州安全保障協力機構)の間で、「完全で包括的な戦闘停止」を無期限で実施することに合意した。これは2015年のミンスク合意Ⅱの延長線上にあるものであった。しかし、ゼレンスキーの一連の対ロ和平交渉は、それを「裏切り」とする国内の極右派や親NATO勢力の圧力でとん挫してしまった。このあと、ゼレンスキーの人気は急落して、彼はロシアとの協調路線を放棄し、親米、親NATO路線に転換するのである。東部での「戦争」は続いた。ここでも一方的にプーチンが「停戦を破り・・・」と言っては間違いなのである。
ちなみに、2022年2月にもロシア、ウクライナ、仏独の外相会議が、ミンスク合意の実現について協議したが、合意はならなかった。ウクライナが依然ミンスク合意を拒否していたのである。
このように、プーチンが25回も停戦を破り、外交には応じないというゼレンスキーの主張は、歴史の実際とは合わないのである。
4)戦争を始めたもの
●ゼレンスキーの主張:「戦争を始めたものがその代償を払う。これがルールだ。」それはプーチンだ。
●検証:誰が始めたかは難しい問題で、プーチンが始めたと断定することはできない。2019年について、ゼレンスキーが「停戦合意」と言っているからには、すでに戦争は始まっているということになる。実際、2014年から「戦争」は始まっていると考えていい。2022年3月は、一連の「戦争」の帰結なのである。とするとだれが戦争を始めたのだろうか。
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2014年から2023年までにウクライナの危機を克服するための外交的な交渉は絶えず行われていて、合意が成立したりしていた。しかしそれは、すべて挫折した。
その理由は、一方的にプーチンに帰せられるものではなく、欧米はもちろんウクライナ自身の責任も大きいものであった。とくに、これにはアメリカの意向があったようである。トランプが、自分が大統領であったなら、戦争は起きなかったと言い、そしていま外交の重要性を強調するのは、そこを突いているようである。