「非ユダヤ的ユダヤ人」はどこに?

投稿日時:
2025/02/10
著者:
ベチャール

 パレスチナのガザでのイスラエルの国際法を無視した戦争は止むことがなさそうである。このイスラエルの暴挙を批判すると、イスラエルはそれを「反ユダヤ主義」だと言って、欧米の過去の歴史を思い出させ、批判の矛先をかわそうとしている。日本の政府と主要メディアは「反ユダヤ主義」には特別の後ろめたさはないにも拘わらず、欧米に追随している。しかし、世界のユダヤ人がすべてこうなのではない。自らを「非ユダヤ的ユダヤ人」と考えて、イスラエルの暴挙を批判するユダヤ人も存在する。その「非ユダヤ的ユダヤ人」について少し考えてみたい。

 まず、ユダヤ人とはこれまでどのような人々を指したのかをごく荒っぽく整理しておこう。

①    「ユダヤ教徒」―19世紀のなかごろまでは、ヨーロッパにおいて、ユダヤ人とは「ユダヤ教徒」のことを指していた。古代のユダヤ教徒は、中世に一つはイベリア半島から、一つは黒海からヨーロッパ・ユーラシア大陸に広がったと考えられていた。そしてヨーロッパの都市や村に入り込んで、金融などの職業に従事していた。ヨーロッパの多くの国では、人びとは「何々王朝の臣民」とか「何々村の人間」といった自己意識を持つとともに、カトリック教徒、ルター派プロテスタント、カルヴァン派、あるいはローマ・プロテスタントという意識を持っていたのである。「ユダヤ教徒」という意識はそういうものの一つであった。

②    「ユダヤ・ネイション」―19世紀なかごろになって、ヨーロッパ各地で「ネイション」というものが意識され、言語や歴史や習俗を同じくする(と考える)ものが一つの「ネイション」を構成するとされるようになった。それに応じて、ユダヤ人の概念も変わってきて、言語や歴史や習俗を同じくするから「ユダヤ人」なのだと考えられようになった。宗教は習俗の一部なのであった。

③    「セム人」―しかし、19世紀の末になると、「人種」が重視されるようになった。ヨーロッパ全体でも、アーリア人とかスラヴ人とかゲルマン人といった意識が広がった。「黄禍論」が広がったのもこの時期である。そういう「人種」論の広がりに対応して、ユダヤ人とは「セム人」であるという見方が広がった。「ユダヤ・ネイション」は意識の問題であったのに対して、いまや「ユダヤ人=セム人」は血統が問題となった。そして、ユダヤ人の血縁的由来が探られた。

 この①から③の概念は必ずしも明確に区別されて段階的に変化したわけではなく、重層的に相互に混在していた。しかし、今日ではとかく③が主に使われているようである。

 さまざまな理由からいろいろな時代に「ユダヤ」に反発する思想と運動である反ユダヤ主義が起きていた。その反ユダヤ主義は、③の「ユダヤ人=セム人」という概念に対応して、反セム主義(アンチセミティズム)となった。そして、このアンチセミティズムに対抗してユダヤ人の間では、「シオニズム」の思想が唱えられるようになったのである。それは、ユダヤ人は『旧約聖書』にあるユダヤ人の故地「シオン」の地に戻って、自分たちの国家を創るべきであるという思想であった。これは19世紀の末にでてきた思想であり、それまではなかったものである。

 では、「非ユダヤ的ユダヤ人」という概念はなにを意味しているのだろうか。この概念は、アイザック・ドイッチャーというイギリスの歴史家の『非ユダヤ的ユダヤ人』(岩波新書 1970年)で有名になったと言ってよい。その原著はIsaac Deutscher, The Non-Jewish Jew and Other Essays, Oxford UP, 1968である。この中で、ドイッチャーは、自らを「非ユダヤ的ユダヤ人」と呼ぶとともに、17世紀以来、「非ユダヤ的ユダヤ人」が歴史に大きな貢献をしてきたのであるとし、スピノザやマルクスなど、多くの偉大な思想家を挙げたのだった。

 では、この「非ユダヤ的ユダヤ人」のなかの「非ユダヤ的」というのは、どういう意味であろうか。上に見たユダヤ人のどの定義に対応しているのであろうか。

①    ユダヤ教に距離を置くという意味であろうか。

②    ユダヤ教は認めるが、ネイションとしてのユダヤ人には距離を置くということであろうか。

③    ユダヤ教とネイションとしてのユダヤ人は認めるが、人種的な「セム人」という概念に反対し、シオニズムとユダヤ国家(=イスラエル)には距離を置くということであろうか。

 ドイッチャーは、自分はユダヤ教徒ではなく無神論者であるという。また、血のつながりとしてのユダヤ人=セム人という考えは受け入れないという。さらに「ユダヤ民族主義者」でもなく国際主義者であるという。しかし、虐待され殺害された人々と結びついているという意味では、つまり歴史的な経験を共有するという意味では、「ユダヤ人」であるという。だから、かれは、自分を「ネイション」としてのユダヤ人だというのである(『非ユダヤ的ユダヤ人』67頁)。

 では、「ネイション」としてのユダヤ人として、「イスラエル」というユダヤ人の国家への態度はどうであるか。ドイッチャーはイスラエルという国の建国を「歴史の驚異」だという。それは、東欧系ユダヤ人を解放し、キブツのような共産主義的要素をも含んでいたからである。しかし、かれは、その後イスラエルは国内外のアラブ人との良き関係を作ることを怠り、1967年には大きな間違いをしたという。1967年の第三次中東戦争でイスラエルはアラブ諸国に圧勝し、パレスチナ人地域を占領してしまったが、それはイスラエルとアラブ諸国の直面する問題をなんら解決せず、反対に年来の問題をさらにこじらせ、新しいより危険な問題を生み出したという。しかも、この「奇蹟」は、いずれ近い将来において、イスラエルにとっての初の悲劇であったことが判明するであろう、とかれは断言したのである(『非ユダヤ的ユダヤ人』161頁)。

 こうして彼は、イスラエルという国家ではなく、イスラエルという国家の行う政策を是認するユダヤ人から距離を置いているという意味で、「非ユダヤ的」だというわけである。

 今日、このような「非ユダヤ的ユダヤ人」はどれほどいるのだろうか。ガザやヨルダン川西岸を占領し、パレスチナ人へのジェノサイドを続ける「ネタニヤフ」に対し、ユダヤ世界内部からの批判が必要ではないだろうか。ドイッチャーの言うイスラエルにとっての「悲劇」が差し迫っているかもしれないのだ。