辺野古基地は軍事基地としての価値はあるのか

投稿日時:
2024/07/01
著者:
ベチャール

はじめに 

 このところ、沖縄から目をそらしてはいけないと思われる出来事が続いている。

 2024年3月と5月に沖縄で米兵による女性への暴行が起きたことが、6月末に「判明」した。県警や外務省が知っていて、沖縄県が知らなかったのだ。その間、6月16日、沖縄県議会選挙が行われ、辺野古基地建設反対を掲げるデニー知事の与党が敗北した。暴行の隠匿は重要な選挙対策であったろう。6月26日、地方自治法が一部改正され、国は、地方公共団体に対し、その事務処理について国民の生命等の保護を的確かつ迅速に実施するため講ずべき措置に関し、必要な指示ができることとされた。これは、何よりも沖縄に適用される可能性が高い。これまでも辺野古基地の建設を巡っては、地方自治を無にしているという批判がなされてきたが、この改正によって、「国民の生命等の保護」を理由に沖縄県の主張を潰すことができるようになったわけである。

 今日の世界の情勢の中で、沖縄を含む南西諸島には軍事的に大きなしわ寄せが押し寄せている。「本土」の人々はあまりにもこれに無関心である。このしわ寄せの主点は辺野古基地である。

 そもそも辺野古基地は米軍のための基地である。そういう基地を、日本政府が米軍のために、現地住民の利害や「民意」を無視して、膨大な費用をかけて建設している。これは日本の対米従属を典型的に表しているものである。このような辺野古基地建設は許されるべきではない。その際、まず第一に考えるべきことは、果たしてこの基地は軍事基地としてどれだけの価値があるのか、ということであろう。

  1. 基地としての有効性

 よく新聞記事などを見ていると、米軍の関係者は、辺野古基地について、いろいろな懸念を表明している。『朝日新聞』2024年6月28日の「耕論」で、マイク・モチヅキ氏は辺野古基地への移設計画は、「軍事的な合理性」がないと言っている。辺野古基地についての疑念を整理してみるとこうなるようだ。

a)     まず滑走路が短いという。現在の普天間基地の滑走路が約2700メートルなのに対し、辺野古では約1800メートルしか取れない。このことは「米軍の能力に大きな影響を与える」と懸念されている(『朝日新聞』2023年11月10日)。

b)     辺野古基地は、山があって西側が見えないという。現在の普天間基地は東西が見えて理想的であるというのである。

c)     辺野古基地はドローンの時代には使えないという。「(辺野古新基地は)何のために造っているのか。ドローンの時代には使えない不要な基地だ」と、新基地建設の視察に訪れた米軍幹部が、周囲にこんな言葉を漏らしていたという(『東京新聞』2024年1月10日)。辺野古基地はヘリコプター専用の基地だと言われるが、それの意味はどこにあるのだろう。

d)軍事基地は、「地盤が沈むところには建設してほしくない」。軟弱地盤の海底を埋め立ててもその安定度は脆弱である。90メートルを超える杭をいくら打っても不安はおさまらない。

 結局、在沖縄米軍幹部は、辺野古に建設する代替施設の課題を挙げ、「純粋に軍事的な観点からはここ(普天間)にいたほうがいい」と述べた(『朝日新聞』2023年11月8日)。

 こういう具合に肝心の米軍幹部が辺野古基地の意義に疑問を呈している。それならば、辺野古基地の建設を再検討してしかるべきであろう。それなのに、沖縄の「民意」を無視し、沖縄の地方自治権を蹂躙し、環境を破壊し、膨大な費用をかけて、米軍のための基地を作る意味はいったい何なのだろう。

  1. 変化する軍事情勢―基地の「分散化」「小型化」

 現在、国の安全保障の確保の仕方は、一昔とはずいぶんと変化している。辺野古基地はそういう変化に対応しているのだろうか。普天間基地の辺野古移設が合意された1990年代末から、米軍の東アジア戦略は変化してきている。

 沖縄国際大学・野添文彬准教授はこう言っている。「近年のEABO(機動展開前進基地作戦)の下では、(米軍の)部隊を少人数で分散させて固定的な基地に依存しないで活動する新しい戦略と言うのをアメリカ政府が練っている中で(辺野古基地問題を)見直す機会があるのではないかと思います」(沖縄テレビ 2023年11月8日)。

 別の情報によれば、「米国では近年、多数のミサイルを有する中国と近接する沖縄に米軍が集中することへの疑問も生じている」(『朝日新聞』2024年1月11日社説)という。核戦争の時代には、潜水艦作戦が有効と考えられていることも、考えねばならないだろう。

 そして、「新基地の完成を見込む十数年後の日本周辺情勢は不透明であり、その時点で軍事的に有用かも疑わしい」(同上)と言わざるを得ないということだ。

 もっと具体的には、「中国のミサイル能力の向上を受け、今の米軍は「分散化」「小型化」が基本戦略だ。その中でなぜ、様々な問題を抱えて巨大な基地を新設する計画だけが「唯一の解決策」であり続けるのか」問われている(『朝日新聞』2024年1月12日社説)。

 米軍の「分散化」は上記モチヅキ氏も指摘している(『朝日新聞』2024年6月28日)。そこに日本が外交を駆使して、軍事力を相対化する努力をする余地も残されているのである。

 政府が言う「辺野古しかない」という論理は、こうした大局的な変化を見ず(あるいは、見ないふりをして)、外交はノー・カウントという前提に立っている。一体「外交」はなにをしているのだろう。日米同盟という名目で、アメリカのご機嫌を取ることが外交ではない。軍事的な衝突に至らないように、利害の合わない国々とも交渉して、国際関係を調整するのが「外交」の仕事なのである。

  1. 「危険な普天間の移設」という論理

 政府は、「世界で最も危険と言われる普天間飛行場」の危険性を一日も早く取り除くのが目的だというが、これは妥当な目的なのか。

 そもそも普天間の移設の問題が起きたのは、「世界で最も危険」な基地だからというのではなく、1995年の沖縄米兵による小学女児暴行事件からである。この問題は基地を移設したからといって解決するものではない。問題をすり替えているのだ。

 1996年当時、政府は、辺野古への移設は新基地を作るのではなく、キャンプ・シュバブ内への移設だと強弁していた。だが実際には大基地の新設なのだ。

 現在の工事計画では、2037年まで「危険」は避けられない。まだ13年以上は「危険」なわけである。だが、今が「危険」なら早く「危険」をなくす方法を考えるべきではないか。すでに1996年から17年も「危険」だったのだから。「危険」だから「なくす」あるいは「縮小する」という道は無いのか。そういう「外交」をしているとは思われない。

 しかも、2037年に辺野古新基地が完成しても、普天間基地の全面返還には種々の条件が付けられている。 緊急時に米軍機が民間の空港を使用しやすくすること、新たな施設の完全な運用上の能力の取得など(『東京新聞』2024年1月11日)。これはいくらでも注文の付けられる条件である。辺野古基地が完成しても、普天間基地はすぐには返還されないだろう。まして、全面返還などいつになるのか。

 とくに強調しなければならないのは、米軍基地があるかぎり、小学女児暴行事件のような「事件」はなくならないという事である。現に2024年においても起きているのである。

 世界的には、ドイツやイタリアやフィリピンなどにおいて、土壌汚染や人権の問題などから、米軍基地の撤去や移動などが求められ実現している。日本ではいまだに「治外法権」状態が残っているのである。

おわりに

 ここ数年間、世界的な軍事化が進んでいて、そのしわ寄せが辺野古に来ていると言わざるを得ない。とくに、ウクライナ戦争やガザ戦争があると、極東でも危機は高まっていると言われ、とくに中国や北朝鮮の脅威に対するためには日本も「防衛力」を向上させねばならないと言われている。この中朝脅威論は本当なのだろうか。これ自身具体的に詰めて考えるべきテーマではあるが、この中朝脅威論を根拠に、日本の「防衛力」の向上が叫ばれているのは事実である。そして、この日本の防衛力の向上の要求は、とりわけ沖縄を始め南西諸島の軍事化を強化させることになっている。辺野古の問題はこのような論理で新しく意味づけされているのである。しかし、辺野古の基地は、軍事基地として疑問が持たれているという事に頬かむりをして、建設されているのである。