「少子化対策」を考え直す

投稿日時:
2024/04/10
著者:
首に旋毛

 「次元の異なる少子化対策」を実現するために、「こども・子育て支援納付金」が医療 保険料に上乗せして徴収されることになった。政府が掲げる「少子化対策」とは子どもと 子育てへの支援を意味するようである。自分はこのことに以前から疑問をもっていたの で、この場を借りて書いてみたい。

 「少子化」が問題として騒がれるようになったのはいつ頃だろうか。自分の記憶にある のは「1.57ショック」という言葉である。検索してみると1990年のことだった。この 年、前年の合計特殊出生率が1.57まで低下し、戦後最低になったのである。けれども実の ところ、日本の人口が再生産できなくなるだろうことは、それ以前から見通せたはずであ る。1970年代の第二次ベビーブーム以後、出生率も出生数も、多少の上下動はあれ、低下 し続けていたのだから。厚生省のHPに掲載されているグラフとデータをみると、出生率 はさらに低下して、1995年以降ずっと1.50に満たないまま推移してきた。これは将来も続 くと考えられ、2040年の推計でも1.43となっている¹。つまり、もう半世紀近く前から少 子化社会の到来は見通しうることだったし、実際にその通りになってきたのである。

 政府はどう対応したのか。内閣府によれば、1994年に最初の「総合的な」対策が立て られたという。「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」、通称「エンゼ ルプラン」であり、保育サービスの拡充が図られた。1999年の「新エンゼルプラン」で は、「仕事と子育ての両立支援等の方針」が閣議決定され、「待機児童ゼロ作戦」が始まっ た。それでも出生率の低下は止まらず、2003年に「少子化対策基本法」が制定された²。

 この少子化対策基本法を読んで驚いた。前文からして恐ろしい。「家庭や子育てに夢を 持ち、かつ、次代の社会を担う子どもを安心して生み、育てることができる環境を整備 し、子どもがひとしく心身ともに健やかに育ち、子どもを生み、育てる者が真に誇りと喜 びを感じることのできる社会を実現し、少子化の進展に歯止めをかけることが」「我ら に、強く求められている」のだという³。

 「我ら」つまり立法者たちは、この時点の日本社会で、家庭や子育てに夢を持つことが できず、子どもを安心して生み育てる環境が整備されておらず、子どもを産み育てる者が 誇りも喜びも感じられていない、ということを認めているのだ。たしかに、新エンゼルプランのときには、仕事と子育ての両立ができない状況だったから支援すると言っているの だし、待機児童がたくさんいたからゼロ作戦が始まったのである。よく考えてみよう。こ こで整備しようとしている社会環境とは、少子化対策ではなくて、子どもを生み育てるた めの当たり前の社会的条件のことを言っているのではないのか。自分だったら、こんな当 然のことが整備されていない状況では、子ども1人ですら生み育てる気にならない。

 もっと根本的な問題だと感じられることがある。男女を結婚させて子どもを生ませて人 間の数を増やすことが少子化対策だと考えられているのではないか。基本法が対象として いるのは「子ども」ならびに「子どもを生み、育てる者」である。先述の内閣府のホーム ページにある具体的な措置をみると、保育サービスの拡充のほかに、地域少子化対策強化 交付金が「結婚・妊娠・出産・育児の切れ目ない支援」のために創出され、結婚・子育て・ 教育資金の贈与税の非課税措置も盛り込まれている。地方での交付金の使い道をみると、 出会いの場の提供や不妊に関する支援をしているところも多い。こうみると、男女の出会 い、結婚、妊娠、出産、育児というコースが当然とされていて、それだけが少子化対策の 対象であり、そのコースから外れている者は視野に入れられていないようである。

 冒頭で記したとおり、少子化は時代の趨勢であり、既成事実である。だとすると、「産 めよ殖やせよ」という時代遅れのスローガンは捨てて、人間が多い方が望ましいという思 考自体を転換してみる方がいいのではないか。むしろ、少ない人口でもやっていける社会 を目標にしてみるのはどうだろう。それが本当の少子化対策ではないだろうか。

 人口が少ない方がいいこともある。人が少なければそれだけ一個人が使える資源は多く なる。土地や天然資源を奪い合わずにすむかもしれない。環境への負荷も減る。人口密度 が低くなれば、道路の渋滞やラッシュアワーの混雑も減る。そもそも渋滞で車がノロノロ 走るのはエネルギーの無駄遣いである。いつでも列車やバスで座って本が読めるくらいの 人口になれば、ベビーカーを押しながらでも通勤通学できる。人口が減れば、一人一人が 互いを大切に扱うようになるかもしれない。子ども連れが邪魔だと思われるほど人が多い 社会が異常なのだ⁴。

人口が減ったら、その分、一人一人の役割が重要になる。ところが、日本の1人当たり 名目GDPは2022年にOECD加盟国38か国中21位であり、この2月に発表された数値から 考えると、2023年にはさらに順位を下げる可能性があるようだ⁵。そのうえ、時間あたり 労働生産性はOECD加盟国中30位、1人あたり労働生産性は31位である⁶。生産性とか効 率とかで人間を測るのは好きでないが、この数字は、日本で一人一人の能力が先進国並みに発揮しきれていないことを示しているように感じさせる。

 いま生きている人が十分に能力を開花させて、自分にできる活動をしながら、ゆとりを もって暮らすことができる社会を作るにはどうすればいいのか。子どもを生んだり育てた りしやすい環境の整備はもちろんそこに含まれる。だが、それだけでは不十分である。い まや単純な作業はAIやロボットがしてくれる時代になった。多くの仕事がAIやロボットに 奪われるとかいうのならば、任せればいい。労働力不足を埋め合わせられるだろう。そう すると、これから必要となるのは、AIやロボットにはできないことができる人である。そ して、今後必要となるAIやロボットを作り出し、コントロールできる人である。AIやロ ボットがあふれる社会では新しい問題が生まれてくるだろう。このような問題の解決に取 り組める人が必要となる。そういう人を増やすには、どのような政策が必要なのだろうか。

 子どもも子育ても税金を使って公的に支援するのは当然のことである。とはいえ、いま 働いている世代を疲弊させて、しかも、人数が減っていく将来の世代に借金を負わせるよ うな「少子化対策」には疑問を感じざるをえない。

<div style="text-align: right;">(首に旋毛)</div>


¹厚生労働省HPより。https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/ 01-01-01-07.html。そもそも日本の出生率の統計は誰を対象にして計算しているのか。調 べてみたところ、日本で出産しても外国籍女性は分母に入れられず、一方で、父親が日本 国籍の場合にその子供は分子に入れられるということだ。つまり、合計特殊出生率は、日 本在住の全女性とその子供を対象に計算した場合、さらに低くなることがわかった。 2023年7月2日付の東京新聞Web版より。https://www.tokyo-np.co.jp/article/260366

²内閣府HP「選択する未来-人口推計から見えてくる未来像--「選択する未来」委員会 報告 解説・資料集-」第3章第1節Q4参照。https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/ kaigi/special/future/sentaku/pdf/p030103.pdf

³e-gov法令検索サイトより。https://elaws.e-gov.go.jp/document? lawid=415AC1000000133

⁴ここであげた事例は都市部に限った話なのかもしれないが、日本全体の人口密度も決し て低くないことは確認しておこう。2022年のデータでは1平方キロメートルあたり331人 であり、OECD加盟国で日本より高いのは韓国(514)、オランダ(423)、ベルギー (361)くらいである。イスラエルも高いようだが2022年の統計データが掲載されていな い。国連の人口統計より。次のページを参照。https://unstats.un.org/unsd/ demographic-social/products/dyb/documents/DYB2022/table03.pdf

⁵東京新聞Web版より。2024年2月16日付。https://www.tokyo-np.co.jp/article/309533

⁶日本生産性本部HP「労働生産性の国際比較」より。https://www.jpc-net.jp/research/ list/comparison.html