兵役拒否の詩―ウクライナ戦争に寄せて

投稿日時:
2024/07/10
著者:
イラクリオン

 ウクライナ戦争でも、兵役を拒否し、不法に国外に脱出する者は後を絶たない。その数は、ウクライナ・ロシアを合わせて数万人に上るという。ルーマニアとの国境を流れるティサ川の速い流れを渡ろうとして、溺死したウクライナの青年のニュースも流れた。またロシアでもウクライナでも賄賂やコネなど様々な方法を駆使して、兵役逃れを画策する者も夥しい数に上っている。最近、ウクライナでは兵役を免除されるために30歳過ぎの大学入学者がロシアの侵攻前の20倍ほどになったという報道もあった。こうしてみても誰でもが「愛する」祖国のために自己の生命を賭して戦いたいわけでなく、また見ず知らずの隣人に敵として銃を向け、砲弾を浴びせたいわけでもないことが分かる。戦争指導者や「外野」の政治的・外交的思惑や駆け引きをよそに、どんな形であれ、一刻も早い停戦・和平を望む者もまた多いのだ。

 こうした「兵役逃れ」「徴兵逃れ」で、思い出されるのは、中国・唐中期の大詩人白居易(白楽天)が書いた長編の諷諭詩「新豊折臂翁」(49行、340字)である(1)。

 この詩の「小序」には「辺功〔辺境での戦功〕を戒むるなり」とあるから、内容は、対外拡張政策を批判したものと分かるが(2)、この詩の主人公は、玄孫を連れて店の前を歩いていた「頭鬢鬚眉皆雪に似た」88歳の老人(翁)である。かれは青年の頃、兵役を逃れるために、なんと自分の腕を大石で打ち砕いたというのである(3)。

 老人は回想する。

玄宗皇帝の「いい時代〔初期の聖代〕」には戦争などはなかったが、天宝の時代には、大徴兵があり、1軒に3人の男がいれば、そのうち1人は兵隊にとられたものだ。遠征先は万里の果ての真夏の雲南の地である。過酷な「蛮人征伐〔南蛮出征〕」に出かけた何千何万という兵隊たちは、後にも先にも、誰一人として帰って来ない、と。

 宰相楊国忠が兵を雲南の南詔に構えようとしたのは、この老人が24歳の時であった。兵部〔国防省〕から来た兵部牒〔召集令状〕には、自分の名前があった。そこで彼は、大胆な行動に出たのである。

夜深不敢使人知/偸将大石鎚折臂/張弓簸旗倶不堪/ 従茲始免征雲南
 〔深夜、誰にも気づかれぬよう、ひそかに大きな石を振り上げて腕をへし折った。弓を射ることも旗を掲げることもできぬ体となって、こうして雲南出征から免除された。〕(4)

骨砕筋傷非不苦/且図揀退帰郷土
 〔骨は砕け肉は傷つき痛くないわけはないが、まずは徴兵を免れて郷里に帰るが先。〕

臂折来来六十年/一肢雖廃―身全/至今風雨陰寒夜/直到天明痛不眠
〔腕をへし折って六十年、腕一本はだめにしても体そのものはなんともない。今でも雨風つのる冷たい夜には。痛んで朝まで眠られぬ。〕                         

痛不眠/終不悔/且喜老身今独在/不然当時瀘水頭/身死魂飛骨不収/応作雲南望鬼/万人塚上哭呦呦
〔痛んで眠れなくても、後悔などしてはおらん。それどころか喜んでおる、この年までわし一人無事生き永らえたことを。そうでなければ、あの時、瀘水〔金沙江〕のほとり、息は絶え魂さまよい葬られもせず、遥か雲南に望郷の霊になって、万人塚で慟哭しておったはず。〕

 相互監視が徹底している社会であれば、主人公のような行動をとる人間は、腰抜け・卑怯者の烙印を押され、家族や村の恥さらし、共同体の秩序を乱す危険人物として唾棄される存在と見なされて当然である。さらに体制に弓引く反逆者、非国民として断罪されてもおかしくないはずである。

 当時、白居易(白楽天)は、体制を支える側に立っているが、正義感に燃える少壮官僚であった。彼は、徴兵制度に逆らい、大きな代償を物ともせず、強い自由意志と勇気で兵役を拒否する民衆に心から共感し、その姿をみごとに写し取った。そこで、この詩に込められた精神は、絶望の淵に立たされた民衆の心の中に深く刻み込まれ、1200年の時を経た今日まで受け継がれて来たのであろう。彼の詩には戦争の不条理・愚かしさと民衆の静かな抵抗の魂がしっかりと表現されている。

 兵役拒否は、まさに理不尽な体制に対する民衆の一つの異議申し立てである。

 ウクライナ戦争の終わりはまだ見えない。

(注)

(1)白居易(白楽天)は、晩年自分の作品を整理して、これを諷諭詩、間適詩、感傷詩、雑律詩に4分した。「諷諭」とは、桑原武夫によれば、「人民の生活を描き、時の政治を諷刺することによって権力者の反省を求めるいわば公的な詩」で、「白楽天自らが誇りとしていた」。桑原「白楽天の社会詩」、吉川幸次郎・桑原武夫『新唐詩選続篇』岩波新書、1954、205‐206頁。

(2)川合康三『白楽天―官と隠のはざまで』岩波新書、2010、108‐112頁。

(3)石川忠久もその点に注目しており、「兵役を免れるために腕を折ったりすることは、当時の民衆にはよくあったことのようである」と解説している(『漢詩を読む 白楽天100選』117頁)。その上で、「そのことを詩に詠った詩人はあまりいなかった。白楽天の諷諭詩の面目躍如の一篇である」と民衆の心を捉えた白居易(白楽天)を称えているのである(同上)。

(4)以下、詩文は、紙面の都合で、一部割愛。また、詩の翻訳文(〔 〕内)は、川合康三訳注『白楽天詩選』(上)岩波文庫、2011、149‐157頁。さらに、高木正一注『白居易』(上)、岩波書店、1958、56‐58頁も参照。

〔参考文献〕

〇吉川幸次郎・桑原武夫『新唐詩選続篇』岩波新書、1954。
○高木正一注『白居易』上(吉川幸次郎・小川環樹編集・校閲『中国詩人選集』第12巻)、岩波書店、1958。
○石川忠久『漢詩を読む 白楽天100選』日本放送出版協会、2001。
○松浦友久『漢詩 美の在り方』岩波新書、2002
○一海知義『漢詩一日一首(冬)』平凡社、2007
○川合康三『白楽天―官と隠のはざまで』岩波新書、2010。
○川合康三訳注『白楽天詩選』(上)岩波文庫、2011。